2006年04月07日

ノスタルジア…(懐かしい祖母の面影に)

幼い頃
僕の手をひいてあの山を登った
あなたの紫色の服
小さな包みを脇に抱えて
小さな弟を背中にしょって
…よいしょ…よっこらしょ…
段差のたびにつぶやきながら
腐りかけた古い木の根っこを踏みしめて
…よいしょ…よっこらしょ…
幼い僕の手をひいてあなたは歩く
道端に
静かな表情で目を閉じる八十八のお地蔵様
そのひとつひとつの素朴な彫刻に
尊い仏様が住んでいるのよと
心が宿っているのよと
小さな包みからわずかな米粒を取り出して
小さな僕の手のひらにのせた
さあ少ないけど食べてください
水を一滴たらしながら
暑いでしょうお飲みくださいと
手を合わせ目をとじて心の中で呼びかけるとき
なんだか素直な子供の心は
お地蔵様の喜ぶ声を確かに聴いた
…よいしょ…よっこらしょ…
やがて視界がひらけて
僕らの町を見下ろす小高い場所に
腰をおろしてヤクルトを飲む
みすぼらしいおやつをつまんで
あなたの隣でほおばる時間は
永遠にも似た至福の時間
下界を見守る仏様の心になったようで
不思議な満足が心を満たす
さあいきましょうね
次のお地蔵様が待っているからと
あなたは小さな僕の手をひいて
…よいしょ…よっこらしょ…
またでこぼこした山道を進む
下り坂は上り坂よりも難しくて
衰えたあなたの足取りは遅くなる
…よいしょ…よっこらしょ…あと少し…
でも道端のお地蔵様に呼びかける
あなたの優しい言葉は変わらない
さあお食べください
お飲みください
そして時折ふりかえり
小さな僕を気にかける
その時のあなたの笑顔
たるんだまぶたが優しくて
僕にはあなたが仏様のように思えた
仏様を敬う心が
いつしかあなたの心をみがき
こんなにやさしい笑顔をつくった
小さな僕は思わずあなたに手をあわす
心の中で手をあわす
そして今
本当に仏様になってしまったあなたの前で手をあわす
あのころ毎週のように通った小さな八十八箇所の道
それはあなたの人生そのもの
…よいしょ…よっこらしょ…
でこぼこの 上り下りの激しい山道を越えながら
幼い僕の手をひいて
背中には小さな弟をしょって
出会うすべてのお地蔵様に
優しい祈りを捧げ続けた
そう あなたは出会う全ての人に
優しい笑顔をふりまいた人
仏典に
常不軽菩薩という方が在る
道端の草木にも礼拝したという
その方の姿を思うとき
僕はどうしても
あなたの姿を重ねてしまう
明日は潅仏会(かんぶつえ)
お釈迦様のお生まれになった尊い日
ヒマラヤの彼方で生まれたひとつの教えが
長い長い歴史を越えて
こんな小さな島国の片隅に
忘れがたい一人の女性を育ててくれた
あなたの思い出を胸に抱いて
僕も曲がりくねったこの道を歩む
そして出会うだろう全ての人に
優しい祈りを捧げる人でありたいと願う
辛いときには
…よいしょ…よっこらしょ…
紫色の服を着た
懐かしいあなたの背中を思う
振り返った優しいあなたの笑顔を思う…

…DEDICATO ALLA MEMORIA DI MIA MADRE…
懐かしいあなたの面影に捧ぐ

おばあちゃんup.bmp

※櫻灯路さんの潅仏会の記事に触発されて祖母の思い出について書いてみました。
特に意識はしなかったのですが88箇所を越える89行の少し長めの詩になってしまいました。
88行でまとめたい思いもあったのですが、特に削ろうと思うところもなくて、祖母の思い出の上に更に一歩を踏み加える思いをこめて89行ということにしました。
文中に挿入したのは恐らくイタリア語だったと思いますが「懐かしい母の想い出に捧ぐ」。
アンドレイ・タルコフスキーの映画「ノスタルジア」の冒頭の言葉です。91年の秋に見ました。うろ覚えです。
その頃、祖母に似た信仰深い女性との出会いを通して僕は人生の危機を乗り越えることができました。
いろいろな想いをこめて、書いた詩です。
文中に仏様とか地蔵様とか菩薩とかいろいろ出てきますが、正統的な仏教解釈にもとづけば、かなり混乱した使い方になっています。敢えて民間信仰の素朴な形を出したくて、如来や菩薩の区別もつけず、果ては一在家にすぎない祖母の姿まで仏様と重ねる不遜を犯していますが、そこのところはご容赦いただきたいと思います。
そういう意味では、宗教詩ではなく、あくまでも祖母に育まれた心の記録として書きとめたものです。
posted by 銀河ステーション at 19:08| Comment(6) | TrackBack(1) | 詩:つながり・絆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今日9日は朝早くから枝垂桜を・かあちやんと見に行ってきます・・応援のポチだけ入れて・・行ってきます。
Posted by でんどう三輪車 at 2006年04月09日 06:35
 こんばんは。祖母ですか。
 母方の祖母は私が小学校入学の半年前に突然、亡くなりました。それがとても残念でしたね。とても優しかったので。
 祖父の記憶は殆どありませんが、何となく覚えています。
 ですが最近になって、これは二人が遺してくれた物なのかな〜って、思うようなことに気がつきました。
 祖父は本に囲まれた生活を送っていたようで、実は今、私自身が本に囲まれた生活を送っています。ジャンルはまるで違いますけれどね。そこがそっくりだって、言われたこともあります。不思議ですね。
 そして去年、自分の髪は母親似でありつつ、その髪は祖母のものであることがわかりました。祖母の妹であります大叔母さんが健在でして、久しぶりにあったのですが、全く同じ髪の毛のクセをしていまして(今までは髪を結んでいたので気がつかなかった)。それで祖母系の髪なんだなとわかりました。
  
Posted by 篩'Jim_a_e'獅師 at 2006年04月09日 20:53
銀河ステーションさま

 素晴らしい詩ですね 貴方の優しさは ここから来ているのですね お婆ちゃんは 特別に懐かしいですねぇ この詩を読んで 再び先日逝った祖母を思い出しています 貴方のお婆ちゃんと僕のお婆ちゃんが 彼岸で仲良くしているかも知れませんね 極端にいいことが少なかったお婆ちゃん世代です あの彼岸で 充分休んで 楽しんで戴きたいと 心から念願しています
Posted by 櫻灯路 at 2006年04月09日 22:32
>でんちゃんさん
朝のお花見、いいですね!夜は、どうしても人がたくさんいて落ち着いて見れない部分がありますよね。
特別参加のポチがうらやましいです。
Posted by 銀河ステーション at 2006年04月09日 22:33
>篩'Jim_a_e'獅師さん
僕も活字好きは祖父から受け継ぎました。祖母に関しては、顔もそっくりだし、おばあちゃん子だったのでいろんな面を受け継いでいます。
そういう意味では、命のつながりって不思議ですよね。僕らを通して、祖父母も生き続けているのかな…なんて思ったりします。
Posted by 銀河ステーション at 2006年04月09日 22:53
>櫻灯路さま
コメントありがとうございます。
ええ、きっと二人のお婆ちゃん、仲良くしていると思います。
思い出すだけでも供養になるとすれば、お互いの記事で思い出しあえただけで、それだけお婆ちゃん達の彼岸での幸福に繋がっているのではないでしょうか。そう信じています。

また、明日からご入院とのこと。繰り返しになりますが、ぜひ頑張ってください。また櫻灯路さんに読んでいただけることを楽しみに、このブログも続けていきたいと思います。
Posted by 銀河ステーション at 2006年04月09日 22:58
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